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富士桜高原別荘地開拓小史

素晴らしい富士の夢を拓いて

富士桜高原別荘地の開発の歴史は、60年近く前に遡ります。広大な富士北麓の地が手つかずの自然のままだったのは水源がなかったからだと言われています。

富士観光開発の歴史はまさに“水”を探し当てることから始まったといえるかもしれません。豊かな自然の恵みと共存できるリゾート地を提供したい、そんな熱い思いを込めて開発を進めてまいりました。水脈確保とゴルフ場、そして「別荘地」開発は一心同体の関係で進められました。

昭和34年に水脈を発見、一気に計画が加速度を増したのでした。昭和35年には山梨県下初の会員制ゴルフクラブ「富士レイクサイドカントリー倶楽部」がオープンし、翌年には「第1次富士桜高原別荘地」の造成工事が火蓋をきったのでした。

道路整備・電気・水道・電話架設などの住環境を整え、以来60年近くに渡り年々別荘所有者が増え、風格ある別荘地として高い評価をいただけるまでになりました。

喧騒とは縁のない別荘地エリアを離れれば、ほど近くには総合病院や大規模ショッピングセンターなどがあり、また別荘地とそれら施設を結ぶ無料シャトルバスが運行されるなど、永住や長期滞在にも適した環境が整えられています。
 

昭和35年竣工した富士レイクサイカントリー倶楽部を富士が見守る

昭和35年竣工した富士レイクサイカントリー倶楽部を富士が見守る

昭和37年ごろの第1次分譲地

昭和37年ごろの第1次分譲地

 

昭和39年に開通した富士スバルライン

昭和39年に開通した富士スバルライン

昭和50年頃の別荘地空撮

昭和50年頃の別荘地空撮

 

平成7年、分譲を開始した第10次分譲地「白樺の森」

平成7年、分譲を開始した第10次分譲地「白樺の森」

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